room

マックの入力に慣れない。

今朝はずいぶん夢うつつを彷徨っていた。寝る前に、、を夢想していたから、、の夢を見るし。、、、、が父親のように変換されていた。ファザコンの娘と混じり合ったのか。自分の父親ではゾッとするが近親相姦のようなイケナイことをする。ある程度年上の男性との関係は父親というもののイメージが投影されるんだろうか。それが自分の父親でなくてもファザコンという?言わないか。ただそういう対象が欠けているのだ

昨日は横田大輔×飯沢耕太郎のギャラリートークに行ってきた。こういうのは川田喜久治以来か。roomというラブホテルに通って撮られたシリーズの展示だったのでたまに都内のホテルに泊まってセルフを撮り続けている身としては他人事と思えず。この人は何か面白いことやってるなという認識いわば先端にいる人という認識があり年代も大体同じ。写真と取っ組み合ってるかのようなプロセスにプロセスを重ねて自分の中に落とし込みイメージを作り出す方法は一歩間違うと小手先になってしまいそうだが、身体化という面では成功しているように感じる。「写真というのは近すぎるもの」だから敢えて突き放す方法が必要なのかもしれない。

私の場合編集もたまに最低限やるくらいで後はほっときっぱなしただひたすらアップするだけ。言ってみればめんどくさい。ただそれをいざまとめようとする時に大変なことになる。トークの中で「ふるいにかける」という言葉があった。デジタルで大量に撮られた写真を何度もふるいにかける。ベーコンも頭のふるいにかけるという言葉をたしか使っていた。大量に撮るということはいわばインプットで編集作業はアウトプットなのかもしれない。事あるごとにzineを作るというのは「かりそめ」であってもいい方法だなと思った。

編集か。。。。。。。。。。。

同じホテルに15年以上通い続けているというのも驚きだった。ラブホテルは確かにいつからあるのかわからないくらい古色蒼然と残されているものがあるし空間的にも特殊なところがある。「空中庭園」という映画では窓がないという表現がされていた。でも横田さんはなんでもないことのように窓を開けて空気を入れ替えたり空を眺めたりしている。居心地のよさ。

自分の部屋ではない、違う場所であるけどもまるで自分の部屋であるかのように干渉されず部屋という空間に守られている。その空間と自分の化学反応みたいなのを即興で記録するのが面白いので特にここでなければというところもないし新しい場所を開拓するのが面白かったり。しかし15年……それこそ記録するという写真家の能力なのかもしれない。偏執狂的な。

日常生活と同じようにふらふらしている。でも見返せば必ず「偏り」はあり掬いとられるのを待っているはず。

 

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