「浅草紅団」

川端康成「浅草紅団 浅草祭」講談社文芸文庫
昭和初めの浅草に著者自身が潜入するようなルポ風小説。不良少女に娼婦、浮浪者。浅草公園は日本中から失業者、家出人、犯罪者が集まる、日本の掃き溜め。浅草公園てどこだ?と検索してみたら出てきたのは浅草公園六区という交番とバス停。調べてみると明治6年の公園設立に関する太政官布告東京府浅草寺寛永寺増上寺、富岡八幡、飛鳥山の5公園を指定し、浅草寺境内が浅草公園命名されたという。この後さらに一区から七区まで区画されその六区だけがまだ名前をとどめているのか。六区は浅草演芸ホールやロック座のある歓楽街。
浅草というと元祖下町の観光地のイメージだったが浅草寺門前町として江戸以前からの筋金入りの観光・歓楽の街。一体どこからどこまでを浅草と言うのだろう。ちょっと北に行けば吉原があり山谷がある。西に行けば上野だが山手線の内側に入れば西郷隆盛の像があったりだいぶお上の匂いがする。こうなると山手線が敷かれた経緯や今通っている鶯谷の成り立ちも気になる。浅草寺の北西に位置する。
今や不良少年少女たちの溜り場は新宿・渋谷に移り、その若さの面影は全く無いただの観光地。その代わり浅草の蔵前と文中で言われていた蔵前などは若者の集まる街に面変わり。でも今の関心は浅草寺鶯谷、吉原辺りの三角地帯。
「エロチシズムと、スピードと、時事漫画風なユーモアと、ジャズ・ソングと、女の足と」
狂騒が伝わってくる昭和三十年あたりの浅草の最後の賑わい。解説によれば昭和三十三年の売春防止法が最後の打撃になった。
30ほどのモテたに違いない川端はそんな浅草に惹かれつつも「私は浅草になじむことも、浅草にはいることも出来なかつた。浅草の散歩者、浅草の旅行者に過ぎなかつた」好奇心だけで書いたのが長所でもありより短所でもあると。確かに傑作とは思わないけどとても興味深く読めた。不良少女の言葉でヤバイ(危ない)とありこんな古くから、と思ったり。
同じ街に通うのは何か意味が持てそうだ。たとえ散歩者に過ぎなくても