歌舞伎町

たぶん数人しか読んでない文章を書く。明日の天気はたくさんの人が気にするが私のことなど誰も気にしない。痛快だ。嫌な気分でいると嫌なものもよく目に入る。通りの隅を走るネズミ、赤いゴキブリ。歓楽街にお似合いな。汚いものでドロドロになるのもそれはそれで快感なのかもしれない。でも私は年をとった。喧騒は横目で眺めるくらいでいい。

ちっとも感じないことに不感症になったのかと思う。少しも入り込めない。だいたい店自体が気に食わなかった。機械仕掛けみたいな喋り方の店員。ここになにが落ちてるというのか。プラスチックみたいな店。体が絡まってるのを見てもなんとも思わない。なにも感じない。イライラしてくる。疲れて眠くなる。お昼に鰻を食べて〆のお茶漬けはいまいちだった。ご飯がおいしくないし、お腹が膨れてしまった。

一緒に行った女性は大体満足したようだった。私は気持ちよくなれてないのに。一体何がしたいのだろうか。私の体はきれいじゃないのか。Tさんならたくさん褒めてくれるのに。苦い後味。感触の記憶。どうでもいいことだった。必要のないこと。

飯田橋

ひりつく記憶を口の中に押しとどめて、手と皮膚の接地点に意識を向ける。よりによって不可思議なこの場所。あの人が通っていた場所。手が膝を愛撫する。伸ばした脚の緩やかな、もしくは僅かな曲線について。筋のつくる影について。関係性自体ではなくいろいろな言葉について。恋愛、リレイション、彼女、彼氏、女、俺、僕、私。窓からの薄い光がテーブルの上の水の入ったグラスをすり抜ける。ふたつの。距離を保って置かれた。この辺は絶望的。チェーン店しかないとか。何を買ってくるかと思えばパン屋さんのパンを大量に。とソーヴィニヨンブラン。草っぽいのが特徴とか。確かに草の味がする。何度でも口付けていい何度でも味わっていい、触れてもいい。時間は確実に過ぎるけれど。陽が傾いてきたのが分かる。プラス510円で朝の混雑した電車を尻目に優雅な35分。体の一部にさゆりさんがいるような感じ。Tさんはこの後接待の会食。離れる時間の気配。もがれる気分にならないようにコーヒータイムをつくってみた。ずっと横になっていた体を縦に戻す。テレビのYouTubeからは緩めの音楽。喫茶店にいるみたい。少し離れたほうがよく見える。横顔をじっと見つめられる。きれいでとても好きだと言う。有楽町線は嫌いだから丸ノ内線後楽園駅まで。地下に降りようとしたら地上にあるんだった。近づいて手を握る。セックスの時も握られた手。またね、と別れる。

piano diary

どこまで行っても辿り着けない

辿り着かない

だいぶ遠くまで来てしまったようだけど

まだ向こう側もあるようで、果てしない

歩みの数だけ遠のいたと思ったら

すぐ傍にいたり

手の中にいたり

掴もうとすればひらひらと

蝶のように飛び去る

木々は騒めき、葉は擦れ

いつかの声になる

だいぶ遠く、今より遠く

海は変わらず満ちていても

眠り続け目覚めなかった今

昇る陽が体をすり抜けて

落ちる日がまた直射する

歓喜と犠牲

深い眠りに包まれた

夜までの時間

あなたに会うまでの

 

 

Piano Diary [FLAU93]

 

渋谷

赤ワインの残るグラスの落とす影を見ている。ワインによってグラスが違うからTさんもそれを見て特別きれいだねと言う。赤い液体の影が揺れてる。入ったときはまだ明るかったけどもうすっかり夜。ビルの8階にある店内にも薄い闇。テーブルの向こう側にいるTさんの顔にも薄い闇。私の顔もそう見えているのだろうか。何度も来ているのにあんな壁の絵はあったろうかと目を凝らす。抑えた照明の中でテーブルの上のものだけは輝いている。ワインのためにある料理。香ばしい鰻の串焼き。これはワインを飲みたくなる、ワイン持ってきてってもう既にあるけど、と笑い合う。例によって蘊蓄を語り出す。まだ若そうなソムリエさんに鎌をかけている。どれもおいしかったし話しぶりからしてもしっかりとしたソムリエになりそう。Tさんとワインを飲むのは格別に楽しい。
お店が開くまで少し時間があったので渋谷の街を手を引かれるままに遠回りして歩く。夕刻、なんだかわからないが若者で賑わっている。ああいう若い子は少し怖いななどと言っているがうん十年前は毎日のように来ていたという。

何しに?
暇だったからじゃないの

どんな若者だったんだろう。お昼から夜遅くまで、とてもたくさん話をしたけど、名前が本名ではなかったことに少しがっかりする。名前だけは教えてもらったけど、本名のほうがしっくりこないことが可笑しい。さゆり、はいい名前。今はあんまりないと言われ確かにそうかも?名前負けしそうって。Tさんの言うことは的確でしかも男女にありがちなズレというものを感じない。なんなんだろう。
「パリ13区」中国移民?でセックス狂なエミリーが働いている中華料理屋で同僚に30分だけ替わってと言ってアプリで知り合った男とセックスする。戻ってきて店内を優雅に踊りながら移動するスローモーション。から配膳されるお盆を手にするシーン。ダンスはどうやら夢想でもなんてきれいで美しいシーン。ただ一度きりのただ喜びのための。
いつもそのお店ではデザートが欠かせない。甘いデザートと甘いデザートワインで夢心地。でも今日はもういい。それだけで通じる。
もう何人としたのかも何回したのかもわからないけど、そのどれとも違う。まるで映画の中のセックスみたい。つまりラブシーン。愛のシーン。あくまで印象だけど

昨日は待ち合わせで会えた時から二人の幸せな気持ちがずっと積み重なっていくようだった

やっぱりこの人は的確

また一緒にワインを飲みたい

a whole cake

盛大な勘違いにしろあの人には愛してると言えた。今はそこまで好きな人はいない。その時も別に呼び名はなかった。僕の彼女になって下さいみたいなことを言われたような気がするが、向こうはどう思っていたにしろ私にとっては特別な人。さゆりちゃんと呼んでくれる人。楽しい思いさせてくれる人、あり得ないほど気持ちよくしてくれた人、たくさん同じものを食べて口と口で交換した人、いつも手を繋いでくれた人。Tさんだって手を繋いでくれるけど、まだそんなに甘えられてない。あの人のほうが年上で背も高かった。Tさんは子どもはいるんだろうか。私が何をしてるかも聞かれないからこちらも聞くのをためらう。
愛してる、と言えたのはやさしかったから。私はただの彼女でも。かえがたい。かえがたいという言葉をこの前使った。ああ、豊島美術館での体験のことだった。Tさんとなにかしらのお店でお酒を飲むのも、なかなかかえがたい時間。時間は刻一刻と消え去るが残された記憶は重なっていく。積み重ねた時間が、同じ空気感というような表現をしていた。同じものを食べるように、同じ空気も吸っている。見えない口移しみたいなもので。
旅から帰って、まだ4日しか出勤してないのにもう精魂つきた。女の生理は厄介でいろいろなものを狂わせるから。幸いというか予約の入る前に出勤を取り止めできた。血道が走るような心地。血の味がしてくるような。でもまだ茶色いものがつく程度。苦しくて眠くてでも眠れなくてパウンドケーキを丸ごと食べてチョコレートも一袋食べた。余計に苦しくしてどうするんだろう。仕事の合間にデートもしたしたくさん歩いたし、疲れが一気に出たような。いろいろなものを狂わせるから。昨夜はとても満足して酔いの残る中ちゃんとお風呂入って髪も洗って寝たのに。おじさんがたくさん褒めてくれるからいい気になって。
美人できれいで中身もきれいで。おじさんはただのお客さんなのに。好きじゃなきゃ会わないけど。みんなただの好きな人。そうだ、愛は与えるものだった。でもおじさんとデートしてあげたのは与えることになるのかしら。多少打算もあるけれど。Tさんとは大人の遊びをしている感じ。明日、映画に行けるだろうか。隣同士無言の二時間を過ごす。何か実験的。毎回新しいことが起きる。ああ、なんでケーキ丸ごとなんて食べてしまったんだろう。
楽になりたくて

銀座

同じワンピースで同じく髪をアップにして同じ銀座の違う路上でキスされる。そんなことはどうでもいいのに。朝から雨。朝食を終えた頃にTさんからラインが来る。欠けていたものが充ちる気がした。つくづく後朝の文は大事だと思う。朝までいたわけではないけれど、随分長いこと同じ時間を過ごした。完全に同じ時間というのはあり得ないけれど、共有した実感がある。ラインの最後には、私がシャワーを浴びた後目の前の鏡で体を確認しながらちょうどいいかどうか聞いたのが、とても可愛く愛おしく感じた、と。単に意見を求めただけのような、でも向こうはそれが自分の好きな体か訊ねたように聞こえたらしい。確かにそんな意味もあったかもしれない、と完全な食い違いとも違う不可思議な交差が面白い。相乗効果を生み出すような。

たくさんくっつき合いながらたくさん話もした。何を口にしていいかわからないような無言の時間と、話しても話しても足りないようなお喋りの時間。今までの相手について話してしまうのは冷静に考えるとあまり愉快なことではないような。Tさんからは全くそんな話はでてこない。かろうじて、仕事と家庭どちらも自由がきくってことだけ。

あちこち体を探られる。いろんな体勢で。3回目までは何もなかったのに。実はかなり?どこまで曝け出していいものか。どこまで叫んで?

まだ緊張する。真っ白い天井が四角く切り抜かれた、まるでミニマルアートのような眺め。ベッドに仰向けでいながら、どこでもない場所にいる感じ、と呟く。あまりに長い時間、でもあっという間の時間。吉田健一の「時間」というのを読んだけどどんな話だったか。たぶん一読では分かりそうにない話。

最初に会った時行ったバーで、やっぱり一緒に飲んでるのが楽しいなと思いながら。エアコンの風が直撃する席で冷たくなった、少し開いたデザインの背中にあてた手がぬくぬくする。地下鉄の改札を入って一度手を振ってエスカレーターを降りる、見えなくなるところまで目の片端にいたような。それも重なって困る。

駅に降り立ったらけっこうな雨降り。シルクのワンピースを濡らしてしまいながらハイヒールに最後の力。風邪引いたら困るとさっさと脱ぎ捨てて、こちらからラインしてしまって、チョコレート齧って、歯磨きして、顔だけ洗って寝る。