海岸での対話は長すぎる
ヨーゼフ・ボイス「シベリア横断鉄道」冒頭
入院前会うのは最後になるかなという予定もあったがまた来週も会える予定。散々行きたい行きたいと言っていた渋谷のモナトリエに行けて満足。ひとつひとつが個室めいてるのでよくわからないが他にお客の気配はない。やさしい甘味が口いっぱいに広がるとうもろこしのムースに濃厚なフォアグラのテリーヌの乗ったアミューズ。今のうちにおいしいものを食べたいという願いを叶えてもらった形だけど、入院にかこつけて、のような気も。稚鮎のフリットとノドグロのポワレが特に印象的だった。前に一度ひとりでランチした時も思ったことだけど、接客とそれに伴う雰囲気が軽い。悪く言えば軽々しい。
お腹が満たされ気分もよくなっているといつもなら距離は近いはず。これは全部雨のせいか、それとも仕事のゴタゴタのせいなんだろうか。
仕事のゴタゴタがなかったらもっとさゆりちゃんと向き合えたんだけど
寝る前のラインで腑に落ちる。ちゃんと向き合えなかった。
一緒にいても一緒にいない、くっついてても血が通わない。目を合わせた時だけ重なり合う。それも一瞬だ。海を渡るには足りない。
今日はドライ。いつもでしょ。いつも?
他人という海を渡る。前進はいつもできるとは限らない。
腑に落ちて、来週の話もしたらまた満ちてきた。
女は海のみちひ
舌の触れた跡を辿れる
コダックのm38に白黒フィルムを入れたのを持っていって、何枚か撮り合う。
何が写っているだろう
写真は距離も、時間もゼロにする