居場所

仕事を辞めてせいせいした気持ちになるかと思いきや空っぽになってあそこが一つの居場所になっていたのだと気付く。付随して近くの気楽に入れる飲み屋や稼いだお金でちょっと悠々した気持ちで銀座を歩き立ち寄る場所など。決していつもではないけれどたまに会話を交わしたり話さなくても馴染みの人員の慣れた感じ。好きな時に行けるという特殊な仕事。Tさんは新しい旅の始まりだねなんて言ってたけど今の鬱々とした感じ。

家で飲むのは自分の影と飲むようでとどこかで読んだ。自分一人しかいないこの家はそれこそ自分の影だらけではないか。鬱々とするのも当然なのだ。私、というものがなければどうだろう。無になるとか分割あるいは分散してれば。私、というものはなくてむしろ宇宙にあまねく存在してつまり限りなく無に近ければ。少しは気持ちも軽くなりそう。

この前久しぶりに写真をプリントしてみてそのうちの一枚がいいと思ったので壁に貼った。何日か経ってもやっぱりいいと思う。自分を撮った写真、を見ているこの私みたいなもの、言わばこれの創造主。それはとても味わい深く輝かしい。私、というものはなくても何かしら心は光っているみたい。