大崎

何も書く必要がないような気がするところをあえて書いてみるとどうなるのか。大概はそんな書き方をしている。今といえば即席チゲ鍋を食べて暖房の効いた部屋で汗ばむほどだが冬もようやく本番となりまだベッドの中にいる時にザクザクと霜柱を踏む音が聞こえた。そんな音も新鮮に聞こえるほど暖冬ということか。いつだか地面に這うように霜柱を撮ろうとしたことがあった。凍った池や集まる鳥たち。冬は公園に行きたくなる。冬のほうが親しみが湧くというのだろうか。Tさんは東京の冬のまだ朝ぼらけな早い時間が格別だと言っていた。毎朝犬の散歩に行くらしい。犬は寒さにも強いだろうから犬に引っ張られて行くのかもしれない。そんな引っ張ってくれるものが見当たらない。今晩もお酒を飲んでいる。大崎に一泊した写真の編集がだいぶ進んだ。まとめて勢いつけてやってしまう。悩んでどうにもならないのは切り捨てる。今回は白黒の気分だった。駅の近くの神社の一箇所にここは農業の盛んな土地でかぼちゃがなんたらと書いてあった。今は殺伐とビルが立ち並ぶ。細い階段の歩道橋に空中に渡された橋がやたらとある。透明な板が張り巡らされた。その板の向こうに木の枝が見えた。白黒というのは影を探しているのか光を探しているのか。どちらもなければ有り得ない。セルフ撮りに使おうと一枚のトレーシングペーパーを鞄に入れておいた。結果的に光を集めてくれたようだ。よく朝の光が差し込む部屋だった。