水底に沈んだ欠片が浮かび上がるようにぼっと灯される火は
そこら辺の草を噛んだ苦い味
暖かいのに冷たくて握りしめることも叶わない
投げ捨てた鏡の欠片が時折鋭く光るたび
一条の線が刻まれて心臓は傷だらけになった風に
見えましただから今でも心をしんとしてみれば
真っ赤に燃える火の玉が見えます
何も書く必要がないような気がするところをあえて書いてみるとどうなるのか。大概はそんな書き方をしている。今といえば即席チゲ鍋を食べて暖房の効いた部屋で汗ばむほどだが冬もようやく本番となりまだベッドの中にいる時にザクザクと霜柱を踏む音が聞こえた。そんな音も新鮮に聞こえるほど暖冬ということか。いつだか地面に這うように霜柱を撮ろうとしたことがあった。凍った池や集まる鳥たち。冬は公園に行きたくなる。冬のほうが親しみが湧くというのだろうか。Tさんは東京の冬のまだ朝ぼらけな早い時間が格別だと言っていた。毎朝犬の散歩に行くらしい。犬は寒さにも強いだろうから犬に引っ張られて行くのかもしれない。そんな引っ張ってくれるものが見当たらない。今晩もお酒を飲んでいる。大崎に一泊した写真の編集がだいぶ進んだ。まとめて勢いつけてやってしまう。悩んでどうにもならないのは切り捨てる。今回は白黒の気分だった。駅の近くの神社の一箇所にここは農業の盛んな土地でかぼちゃがなんたらと書いてあった。今は殺伐とビルが立ち並ぶ。細い階段の歩道橋に空中に渡された橋がやたらとある。透明な板が張り巡らされた。その板の向こうに木の枝が見えた。白黒というのは影を探しているのか光を探しているのか。どちらもなければ有り得ない。セルフ撮りに使おうと一枚のトレーシングペーパーを鞄に入れておいた。結果的に光を集めてくれたようだ。よく朝の光が差し込む部屋だった。
東京駅前の商業ビルの上、金曜の夜の始まりのほうの時間でこれから確実に騒々しくなることが決まっているレストラン階。ネオンでも煌めくんじゃないかと思う。それぞれの店の境界も曖昧なオープンフロアだから色々な食べ物や匂いや音も混ざり合う。通路に並んだソファー席に座れて横を人が通り過ぎるけれど座り心地は良く安心する。目の前にはTさんがいて横は誰もいない。テーブルはおいしいものが運ばれてくるのを待っている。
いつの間にかどこかで音楽が鳴り始めた。席はみな人で埋まりざわめきで満ちた空気も気にならない。ワインの酔いも回ってきてるのか。
お腹も満たされ散歩に出かける。12月の始まりの日。イルミネーションの中手を繋いで歩いて水溜りほどのスケートリンクや森の中に見える灯りのような小さなお店や大きなまるいリースの中に設られたブランコ、馬のいないオモチャのようなメリーゴーランドも何か相応しい置き物のように思える。暖かい一色のイルミネーション。マチュア。成熟した、円熟したという意味の言葉だという。華やいだ雰囲気でも皆んなで夢を見てるように落ち着いている。
途中のカフェで、デザートを食べていなかったのでケーキとコーヒー。今日のTさんは調子がいいみたい。魔法のように言葉が出てくる。隣では年配の女性二人が絶え間なくお喋りしているけれど店内に流れるBGMに耳がいく。周りにはたくさんの人がいるのにまるで気にならない。その空気のようなBGMがとても心地いい。会い初めの頃銀座のバーに連れていってもらった時もただ夢のような時間だったけれど。アトモスフィアとでも言うのか。自然に抱き合っていたり私の匂いを吸い込んでいたりする。家で付けるのを忘れてデパートでひと吹きしてもらった香水がいつまでも香っていて、シャボン玉の中にいるみたいに包まれていた。
昨夜はスパークリングを空けた。一昨日はワインをたくさん飲んだ。たぶん換算すればボトル1本くらい。今日はさすがに飲まないでおこう。というか寝ている。爆弾低気圧が通り過ぎるらしい。眠い。今朝は妙な夢を見た。夢は大抵妙なものだから現実的なものだと余計に妙だ。夢の長さが長かった気がする。夢の長さというものがあるとしてそれはつまり眠りが浅かったのだろうか。医師に尻を見られ痔の手術をしましょうとなったことぐらいしかはっきりとは覚えてない。ただ長かった気がする。
あまり食欲も湧かなかったので朝はヨーグルトとコーヒーで済ませた。バッハのピアノ曲を聴きながらパソコンを開きポチポチするだけのゲームをしつつBSのワールドニュースで何か変化はあったか見つつSNSもチェックしたりする。バカバカしい。と思っていても時々課金もしていることだしなかなかポチポチすることをやめられない。誰かがそんなものはスパッとやめなさいと言ってくれればスパッとやめるのかもしれないがそんなことを長電話する相手もいない。結局だらしがない。朝の清々しさはどこへ行ったのか。テレビは邪魔になったら止めるにしても。
10月の北海道でビュービューと冷たい風を浴びたことがもはや懐かしく恋しい。上着もいらない妙な蒸し暑さ。それでも地面に落ちた赤い柿の葉が美しかった。急に思い立って近所の蕎麦屋に食べに行った。ほんとにそばのそば屋。そばのそば屋で行こうと思えばいつでも行けるが思い立つのがお腹の空いた11時半(開店時間)前でなおかつ開店する日でないとならない。味は保証されている。ただこの条件はなかなか合わない。ほぼ11時半に行ったら無事開いていた。テーブルは大きめだが三つしかない。メニューも前回と同じ一つだけ。最初に出されたそば茶がとても香ばしい。野菜の小鉢三つにほかほかの蕎麦がき次いで十割蕎麦。こんなそば屋がそばにあってよかった。そばにありながらしかも美味しいのだけれどなかなか行かない店もある。そばと言っても難しい。この蕎麦屋には月一か二ヶ月に一度くらい来たい。食べ終えて勘定も済ませて出て振り返れば「本日は終了しました」。後からひとり来ただけなのに。これから予約客が来るのかもしや二食で終わりなのか。とにかく美味しかった。
翳りゆく影も降り注ぐ光もそこに留まろうとしない
波の音は永遠のようで立ち去るべき時が来る
踏みならされた草はら
夢から覚め起き上がり日差しに手をかざす
体の跡を地面に残し
日常へ戻る時も夢の後を引きずっている
波間に立ち昇る声
耳を澄ませば
永遠の音が聞こえてくる
They keep moving,
Filled lights and fell shadows.
The sound of waves repeating like an eternity,
However, I will surely have to leave.
At trampled fields,
I wake up from a dream, raise my hands to the sun,
And left my mark on the ground,
The sense of something when I regained the usual rhythm
Someone's voice heard through the waves ...
At such times,
I hear an endless call.
(翻訳、A氏)
2023年10月10日〜12日
原宿、デザインフェスタギャラリー WEST1-B
https://designfestagallery.com/gallery-detail/?id=32511
去年の瀬戸内、今年の東北を旅した時の写真など。