安全な場所

ずいぶん働いた。自分は働き者かと勘違いするほど。4連勤とはいえたいした時間ではないけれど。肌に触れる、触れられるのが喜びとなる。お互いが心を許している時に。もしかしたら深く根付いた孤独というものを無意識に慰めてるのかもしれない。電車で見知らぬ人と隣り合っている時、互いは反発し合っている。体を硬くして。みな服も身に纏わない、裸ならそんな反発もないだろう。それはもう社会ではなく楽園みたいなもの。

誰かと食事に行ってもなにもしない、世話焼きとは反対な、シャワーを浴びたら体を拭いてもらいたい、靴も履かせてもらいたいくらいな自分がひとの体を洗ったりさすったり揉んだり撫でたり舐めたりしているのは不思議だ。毛深い人もいれば薄い人も痩せている人も太っている人もいる。肌の感触も違うしあそこだって人それぞれ。嗜好もそれぞれ。足の裏フェチの人はひたすら足の裏を擦り付けていてこちらはほぼ何もする必要がなかった。

銃撃事件の後Tさんが落ち込んでるようででも私は怖くないと返したら、それは安全な場所にいるからかもと。でしばらく安全な場所とはなんだろうと考えていた。衣食住恵まれていて独り身で家族はいるが精神を保つために一人で住まわせてもらって好きなことやりつつ見ず知らずの男性と部屋で二人きりになる仕事をしている。少量の安定剤と抗うつ薬は欠かせないが以前に比べればとても平和。不安定になることもだいぶ減った。爆発してしまうことも。SF映画で景色が見る間に崩れていくような、そんな社会の崩壊が起きることがあり得る?かろうじて残った建物の中で日光浴をしているドイツ人の映像。どんなことがあっても生活って続いていくんじゃないのか。精神が保たれていれば。

どこかしらで起こる人身事故。危うさは自覚している。有名な人より名も無き死んでいった人たちを想像する。山奥で死んだ弟とか。

安全な場所は心の奥底に